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2019年 チャイルドブックフェア

つい先ほど井上テューターと 今年のブックフェアのことを相談しました。

フェア主催者には、今年からラボ井上パーティとしてワークショップを引き継ぐことを了解してもらいました。私は応援には行きます。

毎年、高校3年生が応援してくれるので安心して任せてきました。高1・2年生たちも部活の試合と重ならなければこれそうです。

テーマは「はらぺこあおむし」今年はこのお話ができて50周年です。

あおむしは、最初と蛹の部分だけでもしっかり覚えれば完全に英日で語れるようになるはずですので、この機会に挑戦しておきませんか?

いつでもどこでも語れるものを増やしておくことは貴重な知的財産で役に立ちます。ラボっ子たちはたくさんの物語を取り組んでいるので、どれでもCDとともになら即興でできるのですが、中途半端で終わってしまうともったいないです。せめて「あおむし」「くまがり」はね。

5月19日(日)12時〜郡山市民文化センター1f

2015年中学生英語弁論大会(創作の部)濱津幸大(中3)

 

下記の内容を英語でスピーチする予定です。

「2年前の僕の夢は恐竜博士になることだった。

 

今思うと自分でも子供じみた夢だと思う。

 

しかしその夢が具体的に変化する出来事があった。

 

2年前の夏休みに1ヶ月間アメリカ・ユタ州にホームステイに行った。

 

ホームステイ先はユタ州のソルトレイクシティから車で1時間のProvidenceという町だった。ユタ州はロッキー山脈に位置しており恐竜の化石が多く発掘されている。

 

僕を受け入れてくれるホストファミリーは4人家族だった。

 

僕は興奮していた。恐竜の化石にたくさん出会えるかも!と希望を持っていた。

 

その思いも束の間、言葉の壁にぶつかった。僕の英語力は単語の羅列で会話にならなかった。日本で準備した自己紹介アルバムを一緒に見ながら、片言で説明し何とかお互いの事を理解することができた。

 

そんな僕をホストファミリーはあたたかく迎えてくれし僕を家族のように扱ってくれた。

 

僕はホストファミリーに、常に笑顔で接し、感謝の気持ちを忘れずに過ごした。

 

ホストファミリーは僕をいろんな場所につれていってくれたし、いろんな事を教えてくれた。

 

ホストファミリーはモルモン教を信仰していた。週末のお祈りは僕も参加した。

 

他にも恐竜博物館、ベアーレイク、アーチズ国立公園に連れて行ってもらった。

 

中でもアーチズ国立公園は壮大で、圧倒的なものだった。地球の大きさを肌で感じたし、僕がこの地に立っているのは自分一人の力ではなく家族や仲間に支えられていることが実感できた。

 

そして同時に自分自身が小さな世界にいることに愕然とした。

 

ホームステイは楽しかった。それは、まちがいない。

 

それでも、やれることはもっとあったのではないか。

 

ホームステイから帰ってきて考えた。

 

英語の勉強をして、ホストファミリーともっと話したい。世界の事を知りたい。

 

自然や環境について学びたいと思った。2年前の夢は恐竜博士だった。今は自然環境を守る研究者になりたいと思っている。」

 

小学生お話大会(創作の部)創太(小6)

 

<市場で働く人たち>

 

 

 

 「自由研究何にするの?」

 

 「ええと・・マグロ!」

 

夏休み入ってすぐ、お母さんが聞いてきた質問に、ぼくは答えた。

 

「マグロかあ。・・じゃあ、とりあえず調べてみたら?」

 

 「うん!」

 

ぼくの自由研究が、始まった。

 

 

 

 「マグロは、赤身と、中トロと、大トロがあるんだよな。」

 

インターネットで調べてみたら、たっくさんの、情報がでてきた。そのうち市場見学の情報がヒットした。マグロの市場を見学できる!

 

 「お母さん!マグロ見に行きたい!」

 

 

 

 場所は、小学校から車ですぐの、泊いゆまち。いつもマグロを買うときに行くところだ。

 

  

 

 朝4時半、外は真っ暗。市場の中には、もう、すごくたくさんの魚が並んでいた。

 

 真ん中には、マグロが100匹以上、きれいに並べられていた。生のマグロだ!

 

 「いっぱいある!すっごい!」

 

大きいのは、ぼくくらいの大きさだ。

 

 

 

おじさんたちが増え、百人くらいになった。5時、競りがスタートだ。

 

ピッというフエでおじさんたちが、手を挙げ、声を出し、マグロにそって動いていく。早すぎて、何がおきているのか分からない。一匹、4秒くらいで、どんどん決まる。

 

 「かっこいい!」

 

ぼくも、市場の人たちみたいに、競りをしてみたくなった。

 

 

 

次の日、泊いゆまちにきた。

 

お店の人たちは、忙しそうだったけど、競りが終わってホッとして、落ち着いているようにも見えた。

 

競りでは、迫力のある声ときびしい顔つきで、近づきにくかったけど、お店ではやさしい顔になっていた。

 

 ぼくは、特別にもらった2千円をにぎりしめ、買おうと決めていた本マグロの大トロをさがした。

 

(高くて買えない・・。)

 

3周まわってしまった。一番買いたいお店で悩んでいると、店のおじさんが、声をかけてくれた。

 

「何が食べたいの?」

 

ぼくはすぐに、

 

「本マグロ!」

 

と、答えてしまった。おじさんは、

 

「全部入れてあげるよ。」

 

といい、きれいな色の赤身、中トロ、大トロを出し、ぼく用のさしみセットを作ってくれた。

 

(おじさんも、ぼくを覚えていてくれたんだ!)

 

 

 

 

 

ぼくは今まで、働くことはお金をもらうこと。くらいしか思っていなかった。

 

同じように、いゆまちの人たちも、僕たちに魚を売ってくれる人、と思っていた。でも、それだけじゃないんだ。

 

おじさんがいつもよりカッコよく見えたのは、競りの30分間、本当に真剣で、お店の中では見られない表情だったから。いいマグロをお客さんに届けたいっていう想いが、伝わってきたから。こんなに仕事に一生懸命になれるってすごいよなあ!

 

ぼくもやりたいことを見つけて、一生懸命、仕事をしてみたい。誰かを感動させられる人になりたい!

 

そのために、あきらめないで、一生懸命頑張る練習しよう!

 

 

 

 

 

 おじさんから買ったマグロのさしみは、きれいで宝物みたいだった。もったいなかったけど、もちろん食べた。口に入れるとトロンと溶けて、もう、感動するおいしさだった。宝物はぼくの(   )中に・・。

 

市場の人たち、これからも、よろしくお願いします。

 

長崎派遣事業に参加して 濱津幸大(中2)

 僕がこの長崎派遣事業に参加しようと思った理由は、戦争や原爆について詳しく知り平和のために僕に何が出来るか考えたかったからだ。本やテレビなどでも、戦争や原爆について知ることが出来る。しかし本当に戦争や原爆を体験した人でないとその恐ろしさはわからない。長崎を襲った原爆の脅威を知り、思いを共有することで二度と戦争を起こさない平和な未来を創っていきたい。
 原爆資料館には、原爆で破壊された物や原爆についての資料、被爆者たちの写真など様々なものが展示されていた

 その中に、原爆が投下された11時2分を指したまま止まっている柱時計があった。この一瞬の間に何万人もの人が亡くなり、傷ついた。そう考えるとぞっとして原子爆弾はいったいどれほど悲しみを生み出したのだろうと思った。たった一発の爆弾が簡単に人の命を奪い、長崎の町を焼け野原にしたのだ。原爆は存在してはならない兵器だ。世界が平和になるためには核兵器は一つたりともあってはいけないし、それが存在している限りは本当の平和は訪れないと思った

平和祈念像の前で8月9日、平和祈念式典が行われた。多くの参列者と共に11時2分1分間の黙祷を捧げた。平和を願う思いが一つになった瞬間だった。この貴重な体験を心に刻み69年間守ってきた平和を、この先もずっと受け継いでいきたいと強く思った

 ピースフォーラムでは2日間、全国から集まった青少年と共にグループワークを行い平和について考えた。僕はその中で聞いた被爆者の深堀讓治さんによる被爆体験講話が、とても心に残った。 

深堀さんは当時中学3年生で、母、中学1年生と小学5年生の弟2人、5歳の妹の家族4人を亡くしている、そのうち中学1年生の弟は原爆投下から数日たった日に亡くなったそうだ。深堀さんはその時のことは今でもはっきり覚えていると言っていた。僕にも大切な家族がいるが、家族が死んだらなんて恐ろしくて想像できない。深堀さんの突然の孤独と苦しみは想像以上だったと思う。それでも、深堀さんのように自分のつらい体験を話して、それを後世に伝えていくのはとても大切な事だと思った。 

その講話後に、グループワークで僕たちの班は「平和なとき」「平和ではないとき」について考え、それをもとに自分たちの平和宣言文を作成した。僕たちの宣言文は「世界のことについて知り、自分の意見を持つ。そして、相手の意見を否定ではなく肯定して自分の意見を伝える。」というものだった。戦争は国どうしの話し合いが武力行使になってしまったものだ。戦争は多くの悲しみしか得られない。命を繋いでいくために必要なのは相手を思いやることである。 

 相手の意見を尊重しながら話し合うことは時間がかかるかもしれないがとても大事な事だと感じた。僕はこのピースフォーラムで戦争の悲惨さを後世に伝えていく大切さ、命を繋ぐ大切さを学んだ。この平和へのメッセージを僕の家族に友達にそして多くの人達に発信していきたい。

 研修を振り返って 

僕はこの事業に参加して、原爆の威力や恐ろしさ、被爆者たちの平和への声などたくさんの事を学ぶことが出来た。69年前に広島と長崎に原爆が投下されたという事実は変えられない。しかしこれから先、戦争を起こさない、核兵器がない世界を創ることはできる。 

 僕は核兵器が使われたら悲しみしか残らないことをこの研修で知った。二度と戦争が起きない、核兵器が使われないようにするためには僕に何が出来るかを考えた。僕はやはり、深堀さんたちのように伝えていくことが大切なことではないかと思った。少しずつでも、戦争や原爆のことについて伝えていけば、みんなが平和について考える日が来るのではないか、戦争がなくなる日が来るのではないかと思った。 

 そのためにも、長崎で学んだ平和へのメッセージを継続して発信していきたい。

2014年度郡山市中学生英語弁論大会(創作の部)上田稜真

   Pilot as a Bridge                   Asaka 2nd JHS Ueta Ryoma
   "Ryoma, what is the difference between a yukata and a kimono?" "A yukata is a kind of kimono.  We usually wear it in summer.'' " So , do all Japanese people wear yukata in summer?'' "No, we don't.  We wear it when we go to summer festivals." "So, is a yukata a costume for summer festivals?" "No,it isn't..."  After this, my host brother Nathan continued asking me more and more questions. But I couldn't answer them well. To be sure,one problem was that my English ability wasn't high enough. But l found that the biggest problem was that l didn't understand my culture well.  This shocked me.
   Last summer l did a homestay in Virginia for a month. Many people helped me prepare for this homestay. One thing we did was make an album to introduce Japanese culture.  l introduced Japanese events and customs in English with many pictures.  I talked with my host family using this album. I talked positively to let them know about myself and Japan.  I was able to learn about Nathan and the U.S. through these conversations.  Thanks to this album,we had a fun time.
   I positively asked questions when l didn't know something about life in America.   Whenever l asked a question, they asked me a question back. "So,what do you do in Japan?'"  "What do you think about that?''  There were many questions I couldn't answer about my opinions or Japan.  l thought l could make it with just my English ability and positive communication.  But l found that our conversations couldn't continue without my opinion.  I realized that it was necessary to know Japanese culture and to have my own opinion for better communication.
   This homestay was my first cross-cultural experience.  I learned the following things from my host family. The flrst thing was how wonderful it is to tell people about myself and Japanese culture. The second thing was how important it is to understand each other's culture. The last thing was how great it is to understand each other in spite of cultural differences.                                                                                                                 I have been dreaming of flying in the sky since l was a child.  l still have this dream. I want to be a pilot in the future.  But the pilot l want to be is not just the operator of a plane.  I want to be a pilot who acts as a bridge to connect people's hearts.  l don't who connects the hearts of travelers and the people they meet.  I believe that it is the role of a pilot to help people meet each other.  Because of my homestay experience, I want to be a pilot even more.  I really want to be a pilot in the near future.  l really want to be someone who acts as a bridge to connect the hearts of people all over the world.

坂本達さんから 「郡山市7月6日のまとめ」

ラボ・パーティのみなさんとは、全国でもう15年以上の長いお付き合いになりますが、郡山と言えば大ベテランのYさん。ラボが主催する仙台でのイベント(国際交流のつどい・結団式)でもお会いしている方です。「7月に福島に行きますので」と、6年振りぐらいに連絡を差し上げたところ、「ぜひお話しをお願いしたいです。郡山、福島、会津などの子ども達、特に中高生を対象に、小学生やご父母にもご案内をさせていただきたいと思います」、と返信をいただきました。時間が経ってもすぐにつながることができる人がいることは、本当に励みになります。

打合せを進めながら、福島の様子も教えていただきました。「福島県は今なお、震災後の放射線に不安を持ちながら生活しています。我が家の除染は年末に終え、今はご近所が除染中です」「自宅の線量計で測る空間線量はときどき変化して、それを気にしながら生活しています」「福島の様子は、目に見えない放射線への不安ですので、自己責任で、気にするか、しないかが大きな考えの違いになります」「ここに住んでいて、人づきあいを大切にしていこうと思うと、つい「見ざる、聞かざる、言わざる」になっていきがちです。本当のことが知りたいので、ときどきネットで調べたりしています。でも、判断が難しいです」「気にしないで測らないでいる方が幸せでいられるのかもしれないのですが、子ども達が近くにいるので、口に出さずに測ってしまいます」「放射線量を個人的に測る「積算個人線量計」が届きました。孫が生後100日目ですが、線量計は常にベビー籠か娘の首にぶら下げて過ごしています。3ヶ月たったら、市役所に届けて被ばく線量を調べてもらうことになるのでしょう」。

同じような内容を、新聞やテレビで見聞きすることはありますが、自分の知人から発せられる言葉は、現実味や重みがまったく違います。県外の人間ができることは限られているかもしれませんが、できることはお力になりたい、改めてそう思いました。
講演会は120名以上が集まってくださり、会場も満員。中には新潟や東京から来られた方もいらっしゃいました。ラボの講演会は独特で、なぜか入学前の幼児や小学校1,2年生の子どもたちまでもが、1時間集中して話を聞いてくれます。今回もあっという間に時間が経ち、子どもたちの質問をたくさん受けたあと、ラボのみなさんが「チャリティ講演会に協力したい」とのことで、私の著書やDVDの購入にご協力くださいました。その冊数が何と113冊!サイン会だけで1時間…。一家に一冊ではなく、家族全員に一冊ずつ買って下さった方も大勢おられました。Yさん、みなさん、本当にありがとうございました。

当日お買い上げいただいた書籍の印税は全額、東日本大震災の被災遺児、被災孤児への育英金・奨学金等へ寄付いたします。ありがとうございました。

坂本達さんチャリティートークイベントin 郡山

坂本達さんチャリティ―トークイベント 
2014年7月6日(日)2時~4時(サイン会終了5時)  ビッグパレットふくしま(中会議室B)
参加者数  150名
坂本さんの著書「ほった。」の帯に「ギニアの人々と共に汗をかき、悩みながらも完成させた井戸。信頼を深める、国際交流の真の姿がここにあります」JICA理事長・緒方貞子、と書かれています。 
世界の人々と手をつなぎ共に考え歩んでいく若者、子ども達を応援していきたい、坂本達さんの体験や思いをたくさんの子ども達に伝えてほしい、と今回に講演会を企画しました。
お話の内容もとても良く大成功でした。
普段の生活では想像力を高めたいと思っても限界があります。生の声を聞き、そこから自分で考えてみることが大切です。
参加者の皆様から、感動し素晴らしい講演会だったとたくさんのメールをいただきましたのでそこから、少し、抜粋します。
「坂本さんご自身の様々な体験、自転車で世界一周することへの思いやパワー、周りの方々の支えなどに感動し、また、内面的なこと…目の前の人が大事にしていることや思いを感じそれを大切にすることで自分が受け入れられて大切にされるという話も心に残りました。」
「足を運んだからこそ聞け、感動を分かち合えると思いました。」
「坂本さんの人柄がみんなの心をつかみ、楽しい時間を過ごすことができました。」
「自転者で単なる観光目的で世界を周ったのではなく、時には危険と隣り合わせの異文化に触れながら究極の状態で感じられた事なので、戦後の平和な国で育ってきた世代には考えさせられる事がたくさんありました。」
「ワールドワイドな考え方が出来るのはやはり多くの体験が大切なのだなと感じました。」
「今度は子どもの通う高校で講演会が開けたらなぁと 思っています。
多感な高校生には是非是非聴いて感じてもらいたいです。」などと、参加した中高生やご父母の方から「学校に伝えて学校でも企画してもらえるように動きます!」と何人もの人達から連絡をもらいました。教育の場で伝えてもらうことが何よりだと思います。高校英語リーディングの教科書にも掲載されていますし、DVDは文部科学省選定になっていますので、理解してもらえることと思います。」
ご協力、ありがとうございました。


全国ラボテューター通信2011年4月に書いた記事を

東北 山崎智子  

福島県郡山市に住む私の家も東日本大震災の揺れはものすごく,ほとんどの物が落下してきましたが,大きな被害には至りませんでした。電話,ネットがつながりだしたとき,とにかく全ラボ家庭の無事を確認。ただ,10年前に海辺の浪江町に転居したOBの家のことが気がかりになっていました。  すると,4日後にラボ修了後も交流しているOG家庭から「Sさんは親戚宅に避難しています。家は津波で流されなにもかもなくなってしまったそうです。想いがこもった子どもたちのたいせつな写真も,大好きな集めた本も…」と連絡が入りました。Mちゃん は,10年前の中1のときにニューハンプシャー州へホームスティしました。ご両親は既参加者の準備を見ながらわが子の番を楽しみにしていました。「たくさんの写真を撮り,どれもこれも貼りたくて選ぶのがたいへん!」とうれしそうに手伝っていました。そのアルバムの想いはホストファミリィにもちゃんと伝わり,ステイ中,毎晩アルバムを囲みながらMちゃんに英語で一つひとつ質問したそうです。それに答えようとどれだけ辞書をひいたことでしょう,帰国後に見せてもらった辞書はめくれて倍にふくれていました。「私はいま,世界一幸せな女の子です。お父さん,お母さん,ありがとう!」というステイ中の彼女の手紙に,お母さまは感激されました。また3年後の受入れのときには,同じようなアルバムを双子のホストシスターが作ってきました。そのようなたいせつにしまっていたすべての物が一瞬で流されたのです。  Mちゃんは「文学部は就職がむずかしいけれど,私は物語が好きだから」と難関の大学院までいき,今年のお正月には,春から高校の国語の教員になることを報告してくれました。S家の年賀状には「私たち家族にとってラボはたんなる習いごとのひとつではありませんでした。子どもたちにとってもうひとつのホームです」と書かれていました。  山崎パーティからの国際交流参加者は50名を超え,最初のときからずっと,郡山駅で「ひとりだちへの旅」の見送りを続けてきました。壮行会,見送り,帰国報告会,参加者の文集と,大半のご家庭が見守ってくださり,参加者個人の体験ではなくパーティみんなの体験になっていると思います。駅では「みんなで子育てをしている気がしますね」とお母さま方の声。  今回の巨大地震は,多くの人びとの生活の場を一瞬にして奪いました。人の力がいかに無力かを思い知らされます。それでも,立ち直るのも人びとの力でしかありません。地球規模の協力が必要です。そのためには多様性を認め,尊重する教育こそが最大の鍵です。全国からも海外からも多くの励ましや支援が寄せられています。Mちゃんにも励ましのメールや思い出の写真などが,ラボ家庭やOBたちから送られてきています。東北支部の事務所に、月壇中学校の生徒からの応援メッセージに「大きな被害の前にもっと強くならなければなりません。一緒にがんばって困難に克!」とありました。地球規模で人類が手をとりあう必要があるこれからの時代,青少年の国際交流と異文化理解の重要性はますます高まることでしょう。  大震災,津波,頻繁な余震,原発の放射性物質の放出とまだまだ脅威は続いています。犠牲者のご冥福をお祈りするとともに,一刻も早い救援と復興を願っています。 (85年開設 福島郡山地区研)

3・11から 振り返って

福島の問題は、目に見えない放射線への不安ですので、自己責任で、気にするか、しないかが大きな考えの違いになります。
ここに住んでいると「見ざる、聞かざる、言わざる」になっていきがちです。本当のことが知りたいので、ときどきネットで調べたりしています。でも、判断が難しいです。
1ヶ月前に春休みに沖縄に子ども達と「保養プリジェクト」で行ったときは、自主避難者たちと話をしていましたから、本音で深刻な話を聞けました。沖縄の人達は、親切で親身になって考えて下さいました。
さて、3・11から思い起こしますと、私は郡山にいて、地震で壊れたものなどの後始末や不自由な生活の中で、でも、家族がみな無事だったことに安堵していました。
主人は相馬勤務でしたので、津波で亡くなった人を探したり、避難所の生徒さんを訪ねたりしていました。福島の実家は、家を失くした相馬の人達がしばらく泊まっていました。
4月は、福島市の孫(小学生)は学校がしばらく休みになっていたので、共稼ぎの両親に代わって、私が一緒に過ごすことにしました。
この時点で、私はまだテレビ報道を信じていました。「メルトダウンではない」「今すぐ、健康に影響はない」など。
活発な男の子の孫とずっと家の中で過ごすとき、気分転換に、一緒に犬の散歩に外に出たのです。子どもは、屋内に閉じ込めておかなければならなかったのに関わらず・・・。1回だけでしたけど。
ラボの本部からは、東北は4月は全員休会の措置を取る、と連絡がきていましたので、全家庭の安否を確認し、その連絡をしました。
5月の最初のラボの日に、県外に転居や避難中、祖父母宅に子どもだけが避難などがあり、休会延長や退会の連絡をたくさん受けました。
この頃、ツイッターで孫正義さんが「福島のみなさん、困っていることはありませんか?」と投げかけていたのを知り、書き込みました。
また、私の友人が千葉の息子さんの所に避難した後、5月に戻ってきて「会津を巡っていたら、使用されていない東北電力の建物が目に入った。避難しない?」と誘われました。
東北電力に交渉し、現地を見せてもらい、ここに子どものいる家庭に呼びかけて、みんなで住むには、どうすればいいか?しばらく考えていました。固定資産税と地下ボイラーを修繕して動かすコストがネックなのと、もちろん、買い取り価格・・。
6月に孫さんからメールがきました。郡山でのヒヤリング会開催(はまつホテルの広い会議室をブースで仕切り、一人45分ずつ)
私は福島県内でも放射線量の少ない会津に避難することは、郡山からの通勤可能な箇所であれば親は仕事を続けられるので、子供を疎開させる手助けをお願いしたい、ことを話しました。
7月:孫さんから連絡がきました。「全国から県外避難受け入れができる自治体に集まってもらい説明会を開催」
福島の娘と一緒に行きました。そこで、県内避難ではなく、全てを捨てての県外避難しか選択肢がないこと、それほどに深刻な事態であることを理解しました。
娘は受け持っている学校の子供達と3月の学年末でお別れしたい、と言いましたが、孫さんの出した支援は1月までの転居でしたので、2学期で仕事を終え、冬休みに沖縄に避難していきました。
このときに「チェルノブイリの架け橋」の野呂美加さんと話をすることができました。チェルノブイリの子ども達を1ヶ月間ずつ、北海道で保養させてきた経験が、子ども達の身体の回復には効果があることを知りました。
夏休み1ヶ月間は、できるだけ遠方に保養に出しました。3年間でラボの子ども達も全国や海外からの保養プログラムにお世話になりました。

少しづつ、整理して書いていこうと思います。では、また。

言葉がしみ込む物語の力

1月24日、今朝のテレビで「今でしょ!」の林先生のお話がわかりやすくて納得しました。年々下がるけど今年のセンター試験の国語の平均点が、またすごく低かった理由を分析していました。
「今年の問題はそれほど難しくなく、こんなに平均点が低いことは問題だ。それは、最近の若者に、物語を理解する能力が低下しているから。
この物語を理解する能力は、そのままコミュニケーション能力につながります。あらゆる物事を理解し、頭の中で構築し直し、それを他者にわかるように伝える能力。これが、危機的に低下している」と。
さて、ラボ・パーティ教育2014年活動方針の基調に「想像する力、表現する力、物語る力を育てよう」とありました。ん?物語る:辞書を引いたら、ある事柄について、人にわかりやすく まとまった話をする、と。そうなんですね。物語る力なんです。たくさんの本を読むことはもちろんなのですが、深く理解しなければつかない力です。ラボの英語(日本語も)はinput入れる、 output出す、ではなく、impress感動する express 表現するです。例えば、一人でCDを聞いていても気がつかないのですが、ラボっ子達が表現して創り上げていくテーマ活動をみていると、お話の全体像がクリアにしっかり見えてくるのをいつも感じます。みている私が感じるのだから、やっているラボっ子達は気持ちを込めて、言葉を発していく物語がどんなに力をつけていくことなのか推測できるのです。

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