アメリカ バーモントでのホームスティ
僕は、ホームスティに憧れを持っていました。日本にはないものがたくさんあるし、とても大きな国土の中には、いったい何があるのか見てみたい。そして、その中で暮らす人々と触れ合ってみたいと言う気持ちでいっぱいでした。しかし、いざアメリカの地に立ってみると、緊張で体が硬くなってしまいました。
僕がスティした家は8人家族。父、母とホスト、4人の兄とホストの双子の妹です。ですが、途中から僕と同じくホームスティでドイツ人がやってきました。
ホストは、第1印象はガキ大将。一緒に過ごす内に甘えん坊に代わっていきました。1人でパソコンをするのが大好きで、ずっと夢中になって遊んでいました。母は、とても騒がしい人でした。常に怒っていて、声の大きい人でした。父は逆におとなしく、非常に熱い人でした。体が大きく、料理や運動など、色々なことをこなしてしまうような人でした。
バーモント州はとても緑の多い場所でした。道路は少なく、木々や芝生ばかりで、とてもゆったりとした時間が流れていました。それはまるで、僕がホームスティで過ごしてきた生活そのもののようでした。
ホストはずっと自分の世界に入り込んでしまっていて、周りを見渡してみても、よく考えてみても、何もやることがありませんでした。そんな僕はほとんどの日を、椅子に座る、もしくは、ベッドやソファーに横になって過ごしていました。コミニュケーションの取れるときは、なるべく積極的に、そして、笑顔でいるように心がけて、家族や友達に何とか笑ってもらおうと努力をしたつもりでした。でも、そのあとにいわれた言葉の1つ1つが、今になって思うと、1番苦しかったと思います。この後もこういう機会がありましたが、ずっと馬鹿にされ続けました。ホストは、それでも明るく振る舞おうとする僕に、きちんと意味を辞書で引いてくれました。僕はその言葉を受け入れたくも、理解したくもありませんでした。
苦しくて苦しくて、涙を流した夜もあって、ある日、ホストの母に相談しました。ホストは病気だと言われたけれど、そのときにはもう知っていました。そのとき母が言っていた言葉は、「私たちも苦しい思いをしたのだから、あなたも我慢しなさい。」と言っているようにしか聞こえなくて・・・。その日から僕は、辛くても、悲しくても、笑顔を作っていきました。でも、最後まで僕の顔は引きつっていたかもしれません。
アメリカに1ヶ月ホームスティをしてみて僕は、日本と言う国の素晴らしさが見えました。普段は何気なく過ごしている日常でも、その人それぞれの思いが伝わってくるような気がするようになりました。日本人のすごさを発見した気がします。それに何より、自分の言葉の通じることのありがたさを感じることができました。質問をしても、「何を言っているんだお前は。」「本当に理解しているのか?」と言われないことが一番嬉しいです。
でも、今は後悔をしています。僕の人生で、今しかできなかったホームスティで、お腹の底から笑っていないことに気付きました。ホームスティの中で僕が、自分の言葉で、態度で、気持ちで前に出なければいけないところで、踏み出すことができなかった気がしてくるのです。ホームスティをしている中では、自分のできることを、精一杯やってきたつもりでした。しかし、僕の捕らえ方1つで、僕の世界が180度変わっていたかもしれないと思うようにもいなりました。
僕はホームスティで、誰も得ることのできないような体験と感情を手にすることができました。そして、自分と言うものが少し見えたような気がします。様々な風景、人間、自分と出会ってきました。この1ヶ月間を、僕は思い出として取っておきたくはありません。ここに詰まっているものの全てを自分の力として、新しい自分を成長させるための源として、生まれたこと、生きると言うことを、心の底から楽しんで生きたいと思います。
郡山市 山崎パーティ 高1 S.S
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コメント
S君は自分に厳しく、人に優しいので、誰からも頼りにされますし、その力もありますね。ホストマザーもあなたに頼ってしまったのかもしれない、と感じました。友人がこのブログを読んで私と電話で話してからメールを「ホント そうだよね。 外国の知らない家庭で一人で一ヶ月なんて … 優しい家庭だとしても 不安だよ。 大人だって。例えば そんなに 裕福でないとしても 受け入れの目的はしっかりと 持っていて欲しいよね。 いい体験だった と いうものに して欲しいなー。 そこは 大人の役割だよね。 ラボ本部に伝えた方がいいよ。 これからの子供達の為にもね。だって 凄い準備をしてるんだから その日の為にね」
事務局に伝えました。
「ニューイングランドホームスクールの引率をしたものにも、お話してみました。
S君は団体行動中は頼りになるリーダーだった。率先して年下の子達の世話もして、すばらしい高校生でした。
ホームステイに入ってから、SOSはなかった。
また帰国時集合したとき、「ステイどうだった」と聞いてみたところ、「ちょっと苦しいときがあったけど…」、
と言っておりました。「自分で乗り越えたんだ…。」と引率者は思ったのことでした。
その後も現地宿泊時や空港の待ち時間使って、かなりの時間使って反省会したり、いろいろと声かけて話を聞くようにしていましたが、苦労した様子を表すことはなかった。」
因みに現地ではラボっ子から発信できるようにはがきを用意し、2回引率者に連絡ができます。
※ステイ中、2回かな、引率者から電話をします。
このときにはホストママとも話すように努力しています。
その他に、ラボっ子自身が電話できるように引率者のステイ先電話番号を教えます。
ただ、高校生はアメリカでは大人扱いとして見られるので、難しい問題です」
さて、これらの連絡手段をラボっ子達はどう判断するのか、改めて考えていかなければならないと思いますが、
ラボで育ったしっかりと自分を確立してきた高校生は、あまりにもすばらしくて弱音をはかなかったり、自分のできることは何かと考えたり、ポジティブ思考で乗り越えていこうとします。そして乗り越える力もあるのです。今回のスティ先は特異なケースですので、簡単に判断はできないのですが・・・乗り越えながら1ヶ月が過ぎていったのかと思えるのです。いつか彼と一緒にホストファミリィを訪ねてみたいです。幾回りも大きく成長していくはずですし、成長を見届けるまでは、私もラボを辞めれない思いです。
投稿: 雪わたり | 2007年10月12日 (金) 14時23分