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猫のミーへのレクイエム

我が家の猫ミーが、旅立ちました。16歳でした。16年前に初代ミーも16歳で天寿をまっとうしました。私は猫は10年を超えたら いつそのときがきても致し方ないと思いながらも そのときが来るのが怖くて、絵本「100万回生きたねこ」を愛読してきました。家にいるときは、常に何気に近くにいるのが飼い猫で、寝るときも常に一緒なのですから。  りっぱな黒どらでした。死期を悟った猫は人目につかないところへ ふっと姿を消していくと聞いていました。とても寒い日でした。外に出たそうな声で鳴くのです。とうとうその日がきたとわかりました。玄関のドアを開けると、近所の空き地の方へよろよろと歩いて行きますが、住宅地に身を隠すほどの空き地は残っていませんでした。寒い中をあてもなく歩く様子に「もういいね。家に戻ろう。」と連れ帰ってきてからは、もう食べることも水を飲むこともしなくなったミー。諦めきれない私達は病院へ連れていき点滴を1週間も続けてしまったのです。足腰が立たなくなってもトイレのときは身体を持ち上げようとしますので、そのときにトイレに連れていけばできるのです。最後までトイレも失敗することのないミーでした。私の布団の上での安らかな最後で、彼女の生き様は最後の最後まであらゆることを通しても見事だったのです。

すぐに捨て猫の話がきました。目が青いシャムネコのミックス、ミーの代わりと思い、どこから見ても???の薄汚れた猫を飼うことにしましたが、病院に連れて行ったら、すでにお腹の中には子猫が・・。がりがりに痩せていたので、まだ子猫かと勘違いしていたのに・・。茶トラや三毛猫達が生まれました。

それからまた16年が過ぎました。ひと月前からでしたでしょうか耳が遠くなった気がしました。食事タイムのときに名前を呼んでも、2代目ミーは気がつかずに寝ていることが多くなってきました。1週間前の月曜日、いつもと違う声で鳴きだしました。年齢からすれば、当然そろそろかとは思いながらも毛のつやは、ますます磨きがかかったように綺麗で穏やかな様子からはそうは見えないのです。私はフェルトでミー人形を作り始めました。昨日は、久しぶりに長女も帰ってきていて、「気位の高いミーちゃんがいつもより長く抱かせてくれるんだ。」と言っていました。朝は天気が良かったので外に出て、向かえの家の庭に行って戻ってきました。ずい分以前にその家の方が、「ミーちゃんが遊びに来てくれるようになってから私達は苦手だった猫が好きになったんですよ。」と話してくれたことを思い出します。ときどきその家の縁台にミーがいるのが見えていたし・・・・。夕方の食事のときにも4匹が揃って食べていましたし、ラボAグループが始まるときには、リビングにいました。その後、2階の次女の部屋のベットに行ったのでしょう。1時間後に娘が部屋に入ったときには、ベットの真ん中で自然な姿で永遠の眠りに入っていたのです。16年×2匹の大切なミーちゃん達との年月、「諸行は衰滅の法なり」(釈尊)だとしても 私達にかけがえのない思い出を残してくれました。人の一生も猫の一生もそれぞれなのでしょうが、死とどう向き合うか、訓戒をもらった気がしています。

今年の冬は試練です。前述の書き込みをしてから2週間です。チャモも大切にしていた猫ですので、記録に残します。ミーが生後半年くらいでミケ達5匹を生んだので、私は広報誌の「差し上げますコーナー」に掲載してもらいました。ミケは一人暮らしの男性が「寂しいので」と言ってもらって行きましたが、その1年後、子猫が生まれて、アパートに住めなくなったから・・・とチャモ達ともに返しにきました。知人をあたり、子猫をもらってもらいましたがチャモは貰いてがつきませんでした。猫にも出戻りってあるんだ、世の中、いろんな人がいるんですね~。それから15年間、我が家の猫でした。
月曜日の夜ににチャモ(15歳)が体調を崩しました。本(たくさんの不思議)によるとネズミの一生は2年、ゾウは70年。小さい動物は、短い一生を全速力で駆け抜けて(心臓が打つ回数)いく。それぞれの時間の中で。人間はゾウほど大きくはないけど平均寿命がとても長いのは、医学の進歩なのでしょうね(一昔前は「人生50年」と言われていたから私の人生も一度は満足したので、穏やかにやれることをしていこう、と思っていますが。)とにかく15歳だから静かに見守ってあげたい、と思いました。病院に連れていっても わずかに長く生きられたとしても 本人に痛い治療をするだけで、望まないことと、今までの経験から・・。もし、若くて快復できる体力があったり、怪我や辛そうだったりしたら、苦痛を和らげるための治療を選んできましたが・・・・。
ただ、ミーが去って、1週間では、私達の心の準備が整いません。チャモもそれはわかってくれていたような気がするのです。穏やかに、ひたすら体力を温存して動かずに、餌は何を用意しても頑なに食べようとしないのですが、水は意識して飲もうとしていました。そして金曜日、長女が郡山で会合があるからと仕事が終わってから我が家にきました。おそらく、この日まで待っていたのでしょう。最後かと思った次女は、自分の部屋に運んで寝ました。ミケ(16歳)も寄り添いました。家族全員に会えたら もう思い残すことはないので・・・。長女は「いつも私が帰ってきた日なんだよね・・・」でも、穏やかな一生だったと思えますし、穏やかな表情で天国へ旅立ちました。                               

言語環境

私が昨年、新たにスタートしたものといえばこのブログです。以前も「ひろばラボ」にはありましたが、ラボ山崎パーティのホームページと別になっていたので、つい書き込むことが少なくなっていました。ホームページは、娘に依頼していますので、いまだに一人ではできません。このホームページ上に簡単なブログを貼り付けたことで私でも気楽に書くようになりました。さて、今、興味のあるのはスカイプです。パソコン上のテレビ電話のようなものかと思うのですが。昨日、アメリカの友人(娘が中1で1ヶ月ホームスティしたときのホストマザー)から手紙と最近の写真が届きました。ほとんどはメールですが、もう15年のお付き合いになります。日本にはサッカー・ワールドカップのときにファミリィでいらして、我が家にも滞在してもらいました。私もいつか訪ねて行きたいと思っていても、4匹の猫と2匹の犬を家族に頼むにも4日以内の旅行がいいとこで、なかなか行けずに15年経過。スカイプは海外へも無料通信かな?携帯電話もいまだ、持ったことがない機械音痴が、ブログがあんまり簡単だったので、次のステップに行きたくなってきたってわけ。日本にいて英語を話す時間をどう確保するか・・・・・大人と子どもは、言葉の習得に関しては、学習方法が違うことを 数日前の講演で聞きました。英語はスピードとリズムが大切です。わからないところを無視する、論理的にならない年齢がいいそうです。自分のイメージを人に伝えるのが言葉の役割ですが、10歳の臨界期を過ぎると、イメージがはっきりしていることしか言えない(言葉にできない)ようになっていくそうです。確かに私も含め、論理的な大人は、辞書で確認したくなってしまうのではないでしょうか。逆に考えると論理的になっていく年齢は、音声のみならず、読み・書き(ノート活動)もすることがより効果的かと思います。

されはそうと、音だけで その言葉の意味の輪郭を思い描いて使うことができる子ども時代にどれだけの音声の英語にふれる必要があるのでしょうか?

「ことばが出てくるには、2000時間はふれなければならない」

世間で騒がれている(実際には、公教育の学校現場では英語教育に関しては冷めているそうですが。1992年にスタートし、莫大な予算と時間をかけて、すでに16年経過したにも関わらず、さしたる結果が出てこないようです)                           小学校英語授業:年間35回×50分だとしても29時間  それに比べて           日本語:1日6時間×365日=2190時間  この時間数ですと英語習得には69年は、かかってしまう計算になると、言語学者の杉浦宏昌先生が言われました。ラボも週に1時間の活動ではもちろん不足です。だから家庭で物語CDの聴きこみ(1日30分)を連動させる活動に40年前に切り替えてきた経過があります。                        ラボ総合システム(Integrated System):毎週のラボ活動+年間の幅で経験する非日常的な交流活動を総合してして外国語習得をしていく考え方のようですが、私の常に悩むところは、非日常の中には物語りを中心に据えた活動も大きな位置を占めますが、そこから繋げての子ども達の興味・関心・意欲をどのように家庭に持っていくかです。家庭の環境つくりは子どもだけでは無理があります。何しろ、ピノッキオの仙女の言葉にもあるように「子どもというのは、約束するのも早いけれど忘れるのも早いものです。」つまり「家庭との連携なくしての子どもの言語教育はありえない。」                                ことばは単独ではなく、文脈の中で理解されるのですから、「物語世界で自由に元気に遊びさえすれば ことばの扉は自然に開いていく。」と信じて、ラボ活動を続けていきたいです。

チャーリーとチョコレート工場

先週の映画:40年以上も世界でベストセラーになり続けている「チャーリーとチョコレート工場」のファンタジック・ムービー。鬼才ティム・バートン監督とジョニー・デップがタッグを組んだ見応えのある独特の世界観。主役は『ネバーランド』のピーター役で天才子役として世界中から注目を集めたフレディー・ハイモアかと思ってみていたら、魅かれたのはジョニーデップの表現の見事さ。また、たまたまラボで取り上げた「There was a crooked man」の曲がり小屋が、チャーリーの家のようでした。~And they all lived together in a little crooked house.

この映画のテーマは何だったのでしょうか。「子どもをだめにするのは簡単だ。欲しがるものを与えればよい。」フランスの諺にもありますね。「聖書にもあるように鞭を惜しむと子どもをだめにする」トム・ソーヤの中のポリーおばさんの台詞。また、「テレビやゲームが与える害」の深刻さ。本当の家庭・家族のあり方がテーマだったのか・・とにかく良かったです。

さて、コンピューターはどうでしょうか?長時間の使用や使用方法によっては、周囲の人々とよい人間関係を持てなくなることが危惧されています。私はブログを書くことで考えたいのは、一方的に発信するのではなく、意見交換のきっかけでありたいと思うのですが・・・。すてきな人との出会いがたくさんあるからこそ、ラボを続けてきました。

留学

ター君から昨年末に「新年会でみんなに報告したいことがあります。自分から驚かせたいから、それまで内緒にしておいて下さい。」とメールが入りました。さて彼は報告したものの「みんな、そんなに驚かなかった」と。少なくてもラボは国際交流なので驚くことではないのですが、中高生のときの夏休み1ヶ月間の最初の一歩(ひとり立ちの旅)で行くホームスティではないのにね。留学はラボっ子が考えるよりも厳しい挑戦だと思います。「留学とは自分との戦い」「準備した分だけ宝物が手に入る」と言われるように大きなことですよね。ター君は高校生のときに「セロ弾きのゴーシュ」でゴーシュ役をとても立派にやり遂げました。ゴーシュの家を訪ねてきた猫やカッコウ達から受けた大切なものを思い出して下さい。困難に悩み、新しいことに挑戦し、人との繋がりを大切にし、自分を見つめなおし、新しい自分を見つけてくることでしょう。
 アメリカ、アラバマ州オーバン大学で、期間は今年の3月から12月まで。大学の年間留学というプログラムで、論文試験と面接を受けて合格して行きます。アメリカに行ったら、学付属の語学学校で英語を勉強しながら、大学で一般の学生と一緒に授業を受けるそうです。
因みにMちゃんは、カリフォルニア・サンフランシスコ郊外の大学に去年の8月から今年の5月まで留学しています。ラボ山崎パーティからの大学生としての留学は、報告してくれた人は4人目です。身近なところでも世界の垣根は低くなりました。今後はますます国際化が進展してくることは明らかです。若者達の国際性、社会性、異文化対応力は日本の社会に必要不可欠なのです。                                   それはそうと「10ヶ月あるので たっぷり楽しんできます。」というター君、コミュニケーションとは、「言語+自分の意見をしっかりもつこと」ですから、きっと大丈夫です。

言語力と社会力

大人になったピーターパン達が昨日、我が家にやってきました。私のことを茶飲み友達くらいにしか思っていない彼らは、取り留めのないおしゃべりで私の時間を無駄にしていきます。でも話題は豊富で飽きませんし、しっかりと世界情勢をとらえているのには関心します。また音沙汰のなくなった同期メンバーをとても案じて連絡をとろうと努力してくれます。  

中学生時代は本当に大変でした。幼小メンバーしかいない時期が長かったラボ山崎パーティの始めての中学生達。しかし、喜びもつかの間、暗黒時代突入かと思ったくらいです。私のことを「飴と鞭の使い分けが上手かった」とラボ卒業後に言いました。「でも もっと飴がほしかったな~」とも。私の方が彼らの母よりも怖かったと思いますが、不思議なことに辞めずに卒業していきました。子どもは子ども同士なのですね。私とラボっ子のつながりではなくて、仲間がいるからこそラボであり、居場所となっていたのでしょう。だから、私も遠慮しませんでした。だって、発表間際になっても覚えようとしないし、活動自体がどうにも不真面目にみえてしまうのです。それでも英語の力は自分でつけていくから不思議なものです。彼らから私も学びました。「言葉は教えられるものではない」と。                             東京に勤務しているM君は、旅行が大好き。就職してから もう15カ国に行ったそうです。韓国や香港は、金曜日の夜に発って月曜日の早朝にもどって、仕事を休まずにも行けることを試したそうですが・・・。先週はプラハ。20代も残りわずか、ずいぶんと長く付き合ってきたものです。いまだガールフレンドもいない?(ラボっ子は男女の意識がないけど、普通の女の子は気を使わなくちゃならないから疲れそうだ、と言うのですが)ので私達に一緒に旅行しよう、と誘います。そういえば中学生のときに「パーティのラボっ子達が行ったホストファミリィの家を いつか皆で訪ねてまわる旅を企画したいな。」と提案したのも彼でした。

さて、年末年始の慌しさも終わって、今週は落ち着いてラボをスタートします。新年あけましておめでとうございます。

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