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言語力を育てよう

学習指導要領改定案(言語力を育てよう)の新聞記事から(有識者の意見より)気になった内容を書きます。

○すべての教科に言語力が入っている:上から与えられたものだけを読み取らせ説明させるばかりで、自発的思考や表現を養う視点がない。小森陽一(東大教授の話)

○教える内容を増やせば、学力が向上するというものではない。寺脇研(文部科学省審議官)

○子どもがどのようにすれば面白く、楽しく、意義を見出して勉強できるかという具体的な提案はない。本田由紀(東大大学院準教授)

○新指導要領:これで目標を達成しろと言われても、現場としては羽がないのに空を飛べといわれているようなものだ。教師力の育成が先決だ。朝日新聞社説(2月16日)

○外国語活動を高学年に導入:授業は学級担任らが行う。ネーティブスピーカーの活用に努め、地域の人々の協力も得る。(私も いくつかの小学校で授業をする経験を持ちましたが、協力者を当たる程度で、基本的に学級担任がしていくには、教師の負担が大きいのでは?)

ところで、日本語:あいまいな表現を好む    英語:自分の意見をはっきりさせる。

日本の子ども:初めて会った人と話すのが苦手。特に多感な高学年は友達どおしでも関係がぎくしゃくしてくる。

英語はコミュニケーション教育であるから、子ども達の閉塞感の突破口になれる。

子どもが英語を(学習としてするには)目的意識が必要:例えば、「かなり近い将来に海外へひとりで行く。」

昨日のラボ:リーダー達が困ってしまいました。「春のつどいの発表会を1ヶ月後にしようね」と伝えたので、何も進んでいなくて焦っただけではなく、表現を創るには聴きこみ不足で積極的な意見が出てこないから・・かな。毎年、高校3年生の大学受験が済んだ頃にラボ山崎パーティの卒業式をしてきました。送り出しの激励テーマ活動発表については、わかってはいたと思うのですが・・・。先週まで期末試験(中3メンバーにおいては受験の最中に関わらず参加していますし)、勉強の疲れを癒す気晴らしのラボ?楽しそうに物語について話し合い、フォークソング6曲を小学生高学年に教え、とっても明るかったのに、急に影ってしまった感じです。発表をするかしないかは大きな違いなんですね。なにしろ今回はテーマ選びが安易でした。この物語を表現していくには本気で聴きこまなければイメージすら浮かびませんよ。

因みにラボの物語に「国生み」があります。芸術です。「がらんどうがあった。大地は、まだなかった。がらんどうしかないけれど、まんなかはあった。その真ん中を見上げると、高いなあという感じだった。この感じがあつまり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほう、きれいだなあというため息と、ああ、力強いなあというため息が生まれた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テーマ活動を創るとは、こんな感じではないでしょうか?無から生み出す苦しさです。

さて、学習指導要領改定案の意見にもどりますが、「自発的思考と表現~」が言語力を育てる鍵であるのは確かです。困っている様子に私も口出しをしたくなってしまいます。ところが、それを今のリーダーはさりげなく止めて、悩みを自分達に戻してしまいます。自分達の力で何とかしたいのでしょう。が、いかんせん、週に1回(1時間半)の集まりでは時間がありません。ラボ活動が行きずまっているときにテューターは何ができるのでしょうか。少なくても上からの視点で与えることのないように心がけたいのですが・・・・。この時期の発表そのものを考えなおした方がいいのでしょうか?

困ったときに私がすることは ひとつしかありません。とにかくCDを聴きまくることです。たくさんの聴き込みに耐えうる質の高い芸術,それらの物語こそが泥沼にはまったときの光です。そのうちに ふっと春の嵐もおさまって春の気配を感じるはずです。

ラボっ子達にとっては、英語を覚える苦しさの経験の積み上げは、本人は気がつかないかもしれませんが、あらゆる学力の基礎を築いていると思います。子ども達は自分の力で自分を追い込むことや達成感を身体に沁みこませていくはずです。自分達の中で互いに育ちあう集団の教育力を信じてすすんでみませんか。

今どきの幼児教育(英語)

2月9日の朝日新聞の記事から抜粋:「英語力」という点では、早くから始めても週1回程度では、大きな上達は見込みにくい。「英語力をつけるには、相当な量を聞かせたうえで英語の使用を日常化するような環境が必要。日本ではなかなか難しいのでは」と英語教育学の専門家の話。 また、英語教室関係者の話では、親の英会話熱は高まる一方で、「成果が見えない」として辞めさせる例は少なくない。  そして、郡山市教育委員会の説明:郡山市は構造改革特区に認定されているので、「英語表現科」という科目が小学校の全学年にあり、評価もされるが、「週1回でしゃべれるようにはならない。あくまでも興味を持たせるためのきっかけです。」  さいごに福島大学の先生のまとめ:国を超えた人や物の動きは加速している。「英語の能力で選択の幅が変わる時代。早期に教えるかどうかを、自分が子どもだった頃の価値観で考えるべきではないでしょう。」「重要なのは話の中身。内容に価値があれば、発音が悪くても聞いてもらえます。」 うん、さすがに朝日新聞、わかりやすい取材ですね。それから福島市にある”日本語を使わない保育施設”も 写真入りでしっかり掲載。その施設の経営者の話は「自分も英国人の母とは英語、フランス人の父とはフランス語で話して育ったバイリンガル。子どもは耳がいいので早い方がいい。でも母語は大切。お母さんには、子どもに日本語で話しかけるように伝えています」と。彼とは、この保育園をスタートする少し前に友人の紹介で知り、ホームステイ体験をさせてもらった思い出があります。自宅にフランス直輸入のワインを置くワイン・セラーがあり、すばらしいワインとじっくり煮込んだポトフ、手作りピザ。山麓に建てたこだわりの家と自然を生かした広い庭、シュタイナー教育に近い環境の保育園にお子さんを通わせていたこと等が印象深かったです。最近はこのような保育施設がどの地域でも耳にしますが、徹底しているかどうかは、大きく違っているようです。

それはさておき、ラボの物語の表現活動ですが、週に1回の集まりではありますが、家庭における物語CDの聞き込み量が足りないと活動が成り立ちません。例えば、あるラボっ子が心で感じたことを表に出します。今度は、それを受け取った子が、さらに感じたことを重ねあわせる。全体で話し合う。(まず家庭での聴きこみ、感じる。集まって表現する、受け取り自分のものに、また聴きこむ・・こんな繰り返しで表現ができていくときに 物語が幾層にも深まっていくと思います。子ども達には魅力的は物語であること、たくさんの聴き込みに耐えうる質の高い芸術であること、何よりもこのグループ活動が楽しいときに聴き込み量が多く、英語の暗記も苦にならないかのように見えます。子どもは子どもの中で互いに育ちあう集団の教育力に比べたら、大人の関わりなど、どれほどの力を持つのか考えてしまいます。

チョムスキー言語教育理論LADによると「子どもの言語習得力の素晴らしさ」を考えると、インプットとアウトプットの間に存在する何かが大切だそうです。少なくても言葉は、コミュニケーションですので、話しやすい環境であること、話すことが心地良いこと、話しかけたい相手であること・・を考えていく必要があるのではないでしょうか。

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