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花見山

「想像もつかないほどの雪の・・・まるで空から、白い、小さな蛇が、何万匹も落ちてくるようです。」ラボ・ライブラリーのドリームタイムの言葉を思い出しながら、しばらく空を眺めていました。桜が満開になったのにまた大雪。それでも、冬と春を同時に味わえる景色は贅沢かな。特に吾妻連峰の残雪と春爛漫は、とても美しい。数日前に花見山に行きました。一緒に行ったニュージーランドの人は、全国各地からの大型観光バスのあまりの数に驚いて、そこから写真撮影を開始していました。福島で育った私は、四季折々の花見山が好きです。2月の厳寒の頃に咲く蝋梅は、特に凛として香り高くお勧めです。 さて、ヒガン桜やハクモクレンが満開を迎えると連日大勢の観光客でにぎわう4月。マイカーは、町全体で入れないように規制していますので、車は実家に駐車し、福島駅まで歩いて、臨時バス(15分)で春萌える花見山へ。ここはいつでも花日和ですが、この時期は、村里全体が百花繚乱の山々になりますのでさすがに見事です。1時間以上、花を愛でながら歩き続け小高い山まで登ると福島盆地がざっと見渡せます。ここまで来ると、少し人込みがはずれ、鳥のさえずりの中を歩くことができるようになります。http://picasaweb.google.co.jp/chamopon/CmfhzE

親猫

手帳

 古い手帳のメモ書きを見ています。これは、書き残そうかな・・・・  英米児童文学研究のエース、翻訳の第一人者である神宮輝夫氏の講演会に行ったときのメモに目がとまりました。  最近、話題の「かいじゅうたちのいるところ」ですが、ラボでは”不思議の国のアリス”とともに 15年ほど前にライブラリーとして発刊し神宮先生をお呼びしました。  今、世界中で2000万人に愛される”今世紀最大の絵本といわれ、昨年はオバマ大統領がイースターの日にお子様に読まれた選ばれた絵本として、また話題になり、今年は実写映画化にも。 さて、作者は、絵本界の巨星、モーリス・センダック。 すぐれた作品は入り口と出口が必ず違う。本当の読書体験というのは、読むことによって精神の冒険をし、自分をかえていくこと。ファンタジーは自分自身の感じ方で楽しむ。 日常から非日常へ。 一本の空想と現実の境界線があり、そこを出入りする。 絵本の役割 人間が人間として生きるには何が必要か。 文学:子どもの成長する時期を考え成長させてくれる。 現実では実現できないこと 心の望みをかなえてくれる。「行きて帰りし物語」 主人公がファンタジーの世界に行って、帰ってくるのが子どもの文学(帰らない作品があっても帰る可能性はある)  センダックは、すぐれた児童文学の基本形式=主人公が精神的あるいは肉体的な冒険の旅に出て、やがて幸せが約束された場所に戻ってくるというパターンの見事なつかい手である・・と。改めて、この絵本を読んで(絵をじっくりと見ることで)センダックは自分の経験を背景にひそめ、独自の生きいきとした世界をつくっていることを感じ、それは、誰しも思い当たることなのかと思いました。そして、幸せな子ども、好奇心いっぱいで少し生意気で、とても行動的で・・そんな子ども時代を過ごさせてあげたい、と思いますが、最近の暗いニュースを見聞きし思うに、今、子ども達は、幸せだと言えるのでしょうか?

高額介護

給付申請の手続きの煩雑さに 時間と頭を悩ませています。給付の受け取りを放棄してしまいたくなります。私よりももっと高齢の方々は尚更ではないでしょうか?いったい、どうすればいいの?という通知を受けとって、困っているのではないでしょうか?まあ、「支給を希望する場合は・・」とも書かれているので、面倒なら希望しなくてもいいのですが・・・。   また、先月は、父の1年間の医療費が高額だったので、医療費控除の確定申告をしました。よくわからなかったので、説明を受けながら申告書に記入する会場に行きましたら そこは、長蛇の列。諦めて、娘に自宅から、インターネット記入で仕上げてもらい、たくさんの領収書を添えて提出、税務署の審査を待って、郵送されてきた「国庫金送金通知書」は、手続きが正しくできていたことに ひとまず、ほっとしました。それを持って、今日は、支払い指定箇所にしておいた郵便局へ。でも、本人ではないので、身分証だけではなく、「本人が書いた委任状」がなければ支払いはできない、とのこと。本人は介護5(ペンを持つことなどできるわけがなく、だから高額医療費なのですが・・・)受け取るために考えられる手続きを申し訳なさそうに丁寧に説明して下さる係りの方の言葉を聞きながら、「これもいらない!」と心の中で思っていました。  今日は、無駄な時間をずいぶん、とってしまった、と考えるか、私が世の中の仕組みに甘かったから、研修をさせてもらった、と考えるべきか・・・だったら、その研修費用だったのかな? もう考えるのも給付を受けるのも諦めよう!

寿命を生きる

 これからは、週の半分を福島の実家で過ごそうかと思っています。    昨年、秋に 母の担当医と 入院の相談をしましたが、母の希望で在宅介護にすることになりました。ただ、同居している妹は美術教師(展覧会用の大作を描き続けていて、仕事のあと、アトリエに寄るので、帰宅が遅く、介護は不可能) ほとんどの時間は家族がいない状態での自宅介護にするために、母の部屋の中には、介護ベットから手すりをつたっての水洗トイレ、洗面所・・自分ひとりで、生活ができる状態に。毎日、往診の担当ドクター、看護師さん、ヘルパーさん、リハビリ・マッサー師さんのどなたかが来てくださることにしました。ご近所のボランティアの方々には、とても助けられた生活です。古くからの町内会、人付き合いの多い母のところには、毎日、どなたかが、食事などの差し入れや応援にいらして下さることに感謝しつつ、基本的には、母が自分で作れるように簡単なキッチン用具もベットの周囲に調えました。  「食育」の到達点は「自分の食事は、自分で作ることができて、自分でコントロールできるかどうか・・・とありますが、介護3の認定を受けている母をみて、毎日の食によって体は維持される、と改めて思います。また、この半年間、やりたいことを次々にしてきました。友人の息子さんが国会議員になったので、誘われて、東京1泊(国会議事堂と議員執務室見学)、温泉旅行は次々に誘われるたびに、映画、演劇鑑賞、紅葉やイリョウ並木に「天国に来たみたい・・・」と喜び、週に一度は、出かけて・・ベットの上では、「視力は衰えても針の穴は通せるから不思議だね」と今は、パッチワークのベットカバーを作ったり、天気が良いと庭に出て、花や野菜の種を蒔いたり・・これでは自宅介護といわないのでしょうが、ドクターも気持がポジティブなことで、病状の進行を止めているかとサポートして下さっているので甘えさせてもらっています。  「生き方上手」の日野原重明氏の言葉「寿命」とは、「寿命という大きな空っぽの器のなかに、精一杯、生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージ」  「時間は見えないけれど、今のこの時間は実在し、それを使って何かをすることはできる。ぼんやりして過ごそうが、何かに没頭して過ごそうが、使える今の時間をどう使うかは、一人ひとりの意思にゆだねられている」「この時間をどう使えばいいかを考えることが自分自身のいのちを考えることにつながる」と・・・。私も満足できる人生を生き抜いてみたいものです。

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