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ベラルーシの核物理学者 ネステレンコ氏 福島県視察しての講演かい資料

【自由報道協会ブログより】
ネステレンコ氏はベラルーシの核物理学者であり、
  現在はベラルーシの民間研究団体である ベルラド放射能安全研究所の所長を勤めています。
  現在来日中で18日に福島県の視察を行っており、
本会見では福島視察の報告、 ベラルーシの放射能研究と日本との違いなどを予定しています。
  <参考>
ベルラド放射能安全研究所は、 同氏の父ワシリー・ネステレンコ氏が
チェルノブイリ原発事故後、民間の研究機関として設立。
  同研究所は低線量のセシウム137が人体に与える悪影響や 放射線発病の予防法を研究しています。
非政府組織との協力の下、
西欧地域や日本で子供を国外保養させて、体内の放射性物質を減らし
健康状態の回復を図る取り組みも行なっています。


司会 おしどりマコ
  アレクセイ・ネステレンコ所長
  通訳 辰巳雅子


アレクセイ・ネステレンコ所長:
  皆さんわざわざお集まりいただきましてありがとうございました。
まず日本の国に起きたこの悲劇について心からご同情申し上げます。
  日本にきて数日しかたっておりませんけれども、
この短い滞在の間にいろいろな事を見聞きいたしました。
この日本という素晴らしい国に起きた悲しみについて、
ベラルーシの悲しみとともに今までの経験を日本人の皆様と共有していきたいと思っております。

まず、津波の被害に遭ったところにも行ったのですけれども、
  地震や津波の被害によって日本の国が変わってしまった事について、
  感情的な心の中の印象というものが非常に強いです。
  今大変心が痛んでいます。

そしてその次に私の心の中に起こったものというのは、
チェルノブイリ原発事故によって起きたことと福島の事故によって起こることと
  それを、福島の事故を見てチェルノブイリ原発で起きた事故を思い出しました。

福島県にある村に行ってきたのですけれども、
その村の様子を見て、チェルノブイリ原発で被害に遭ったベラルーシの村の事を思い出しました。

それから放射能の被ばくの現状についてなんですけれども、
  福島県で私が得た印象というのは驚きです。
しかも悪い方の驚きです。

福島の各地に行った時に線量計を持って行きまして、地表の線量を測ってみたんですけれども、
  予想以上に高い値が出て驚きました。

そして日本の政治的な現状を見ていても
1986年にソ連政府がとっていた行為の事を鮮明に思いだしました。
ソ連政府がやってきたことを日本政府という教え子が繰り返しているような気がします。

そして一般市民の方ともお話をする機会に恵まれたんですけれども、
たとえば自分の家を残して別のところに移住して行ったりとかしている人たちのお話を聞いていると、
これはもう本当に人間として、人生の中の悲劇であると。
そして同じようなことがチェルノブイリ原発事故が起こった後も繰り返されていたという事を
強く感じました。

そして、事故被害の規模ですとか、
そういった一般市民の声というものをどうしても隠していくという気がします。

このように日本の現状とチェルノブイリ原発事故が起こった後の現状と
共通点が多いという事に気が付きまて、大変私は辛い思いをしています。
そして26年前に自分が感じていた事を再び今、日本で感じています。

福島を周りましてすぐに分かった事なんですけど、
  人間が住んでいる、人が住んでいるところにもかかわらず、
  線量が高い。
  想像以上に高いという事。それが第一の気がかりです。

で、汚染地図がありません。
あるんですけれども、あんまり詳しくないと思います。
もっと細かい汚染地図があったら、
そこに住んでいる人達はどのような対策を取ったらいいかが分かりやすいと思うんですけれども、
  住んでいる人々にとって分かりやすい、細かい地図がまだできていませんね。

日本は人口密度が高いですし、建物同士も密接して建てられています。
ですから必ず、汚染地図の方も密度を細かくしたほうがいいと思います。
たとえば、私は福島市の隣の伊達市に行って来たんですけれども、
そこの小栗地区というところに行きまして、そこの小栗小学校の近くで測定を行ったんですけど、
  学校を取り巻くフェンスから5mと離れていない所にホットスポットがありまして、
それが27マイクロシーベルト/h。
  毎時27マイクロシーベルトでした。

これは大変高い値でありますので、
  小さな子どもが通うような小学校のすぐ隣にそのような場所があっては決してならないことです。
  細かい汚染地図を作ることが日本人にとっては必須事項だと思います。


そして、日本の食品基準値につきましても教えていただきましたが、
  少し不明だなと思う点がいろいろとあります。
たとえばこの基準値で行きますと、1年に食品を通じて体内に蓄積していく体内被曝の事を計算しますと、
  年間当たり20ミリシーベルトに達することも予想されますので、
  何のための法律。
たとえば法律では1ミリシーベルト以下にしましょうというような事をいっていますけれども、
やはり同じ法律である食品基準値が別の法律に対応していないことが、
  「ちょっとおかしいな」と自分自身で思う事です。

そして食品の測定なんですけれども、
  私の考えるところではいくつかの機関が並行してやることがいいと思います。
つまり国の検査だけに頼るのではなく、情報源をもっと増やす。
  国の機関、民間機関、そういった色々な機関が食品の検査をする。
そしてデータを出すという事がいいかと思うんですけれども、
そういった複数の機関が検査するという体制が一番いいんですけれども、
なかなかそういった検査体制はどこの国でも実施するのが難しいようです。

たとえば事故が起きてから半年たった時点で、人体の体内蓄積量を測定したとします。
でもそれはやはり事故が起きてからもう半年もたったわけで、しかも測定は一回しかしていませんよね。
たったそれだけの測定の結果をもって、
  全てその人について、どうしたらいいのかとか大丈夫であるとか、
  安全であるとか、危険であるとかというのを、即断してしまうというのはどういう事でしょうか?
それだけでよいのでしょうか?

そして国のほうはいろいろなところを測定して収集した結果について、
  必ず公開していかないといけないと思います。
そして公開するだけではなくて、じゃあこれからどうしたらいいのか?という知識、対策方法を
国民に知らせる必要があります。
どうしてかというと、そのような知識があると、
  被ばく対策になるだけではなく、パニックにならないという問題を促す、そういった効果もあると思います。

それから除染についてなんですけれども、
  私たちが福島の各地を回っている時に、
  「ここのコンクリートをはがした」とか、
  「ここの土をはがした」というような話をあちこちで聞きました。除染方法として。
それについては、まぁいい事なんですけれども、
とった後の汚染されているコンクリートだとか、土を、じゃあこれからどうするのか?
  放射性廃棄物としてどうしていくのか?という問題もあります。

そしてみなさんもそうですし、国もそうなんですけれども、
  福島県だけが非常に高い汚染地域にあるという、そういう報道というのがされていますけれども、
  日本国全国の食品を、
  福島産だけでなく他のところの日本で作られた食品についても調べていく必要があります。

チェルノブイリ原発事故の詳細については、
  事故が起きてから2~3年経ってから秘密にされていたものをようやく明らかになったんですけれども、
それによると、事故当時ベラルーシ全土が汚染されていたという事が、その時明らかになりました。


そして、日本でまず最初にしなければいけないのは、法律の制定を是非して下さい。
ベラルーシでもウクライナでもロシアでも被害者救済のための法律というものが制定されました。
  日本でもそういう法律を早く作る必要があります。

しかし、今回の訪問中に聞いた事なんですけれども、
  「ここまでなら大丈夫、ここまで以上なら危ない」といった、そういう事の目安ですね。
その目安が場所によって違う。
  市によって違う。
そういったバラバラの認識があるという事に一番ショックを感じました。

このような訳で日本の状況を鑑みますと、

国だけに頼らず、NGO団体、皆さんのように取材されているジャーナリストの方々にお願いして、
そういった人たちがこれからも活発に活動していくことが重要だと思います。

そしてみなさん日本の状況を見ていますと、
これから起こってくるのは補償の問題だと思います。
それはだれが責任を持って、誰が払っていくのか、それは額はどうするのか、
そういった事がどうなるのかが大変大きな問題になるのではないでしょうか。

残念なことにソ連政府が犯した間違いが繰り返されているように思います。

たとえばヨウ素剤の配布なんですけれども、
ヨウ素剤の配布さえしておけばこのように子ども達が病気になるような事はなかった。
で、そういった教訓が日本で全く生かされていない。
やはり官僚主義というものが邪魔をしているんでしょうか。

もうひとつ気がついたことはこのような事故が起きた後に対する原子力発電、
  原子力エネルギーに対する国の態度というものがまるで変化がありません。
このような大事故が起こったにもかかわらず
原発は存在し続け、稼働し続けるという事が日本で続いています。

とにかくもう二度とこのような原発事故が起きないことを祈るばかりです。

簡単ですけれどもこのような印象を持ちました。


24:25

おしどりマコ:
ありがとうございます。
  私少し補足の紹介をしておきます。

通訳の辰巳雅子さんは17年ベラルーシに住んでおられ、
チェルノブイリの事故後ご自身でも子どもたちの保養の支援や、
  健康被害の聞き取り、ヒアリングなどをされていて、
  語学に堪能なだけでなく今回素晴らしい能力を発揮して下さっています。
そして記者の皆様方にこの英文の資料を配布しているのですが、

これは17日にネステレンコさんが福島で講演をされた時の講演会の資料です。
  今回記者会見を急に要請をいたしましたので、
この資料を追加資料として皆様にお配りさせていただきました。
  了承して下さってありがとうございます。

それではこれから質疑応答に移ります。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=0E_7uPGUBuQ


ラボOBの結婚式

娘の次に古いラボ山崎パーティの卒業生のK君の結婚式が明後日。幼児期から高校生まで11年間在籍でした。とにかく読書好き(ラボっ子はみんなそうかな)で将来は小説家になりたい、と早稲田の文学部に入学。でもK君いわく「小説では生活はできないから仕事を保険として持った上で、めざしたい」と。斎藤孝の「三色ボールペンで読む日本語」をもっと前から出会いたかった、と私に熱く語ったこともあるし、学校の図書室は、新聞が数あるから毎日、読んでくる。彼とのおしゃべりは内容が深くて私は面白いのです。ラボは自分にとっての居場所だけど、仲良しクラブじゃないからいいんだ、とみんなで意見をぶつけ合っていた。ラボ卒業後15年かな、さらっとした付合いで同期のラボメンバーとは大事なときには会っている。さて、K君はかなり変わっていました。ひとことで言うと「ラボに来ても何もやらなかった3年間がある・・・何もやらない子は、むしろすごい。しっかり見ている。」これに関しては我が家の次女も同じく、三年寝太郎だったけど。つまり、それを見守ってきたお母様がすごいのでしょうね。おめでとう!

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